2020.9.29(火)
今日は今までの検査結果の総括を聞きに行く日である。車のキーを改良したがそれもうまく使えなくなってきたので、さらに一工夫を加えた。これもいけるぞ!追憶2参照
さすがに歩くことが困難になってきたので病院には娘と一緒に行くことにした。家の周りの道で試運転をしてみたら普通に運転ができたのでタクシーを使わずに行くことにした。
乗り込むときに娘にお尻を押してもらうことで何とか乗り込むことはできる。
駐車場に付いたら娘に病院の車椅子をとってきてもらい押してもらうことにした。車椅子はなんて楽チンなんだと感激してしまった。
ただ娘の運転が他の人を気遣う運転でないのでイライラしてつい怒鳴ってしまう。付き添いをしてくれるだけ喜ぶべきことなのではあるが、他の人にぶつかるのではないかとひやひやしてしまう。
先ずは整形外科での診断結果は”病状はヘルニア・狭窄症によるものではないので今後は脳神経内科 1本で対応することになりました。”といわれた。
そこで脳神経内科で来週(10/8)に検査をすることになった。またここで1週間の時間が空いてしまう。この空いた時間が曲者でいろんなことを考えてしまい、精神的に負担が大きい。
我慢の限界
診察を何度か受けても、一向に進展がないので自分の中で”イライラ”が募ってきたので、ネットで病状を検索することが多くなってきた。
”全身の筋肉がぴくぴくして歩きにくい。”で検索したら”ALSの初期症状一覧!足にしびれがでたら要注意?!”がヒットした。ALSって病気を題材にしたドラマを昔見たことがあったので、すぐわかった。(三浦春馬さんと多部未華子さんのドラマで見たことがあった。)
四股の脱力を検索すると脳神経に関する病気が疑われるので、どこの病院が良いのか調べることにした。
いろいろあったが国立大学病院が良いのではないかという結論になった。
早速市民病院の相談窓口へ電話をすることにした。「症状が急速に悪くなるのに検査等の対応が遅いので転院を希望したい。」旨を伝えた。
市民病院の方も理解をしめしてくれ担当の先生に紹介状を書くように頼んでもらえた。市民病院は建物も大きく立派なので対応もよいものだと思い込んでいた。普段から病院に行くことがなかったので、つい外見で判断してしまっていた。
このころの家での生活は階段を四つん這いで上ることも難しくなってきたので寝室を1階に移した。ベットが無いので立ち上がることが難しく、床を這うことが多くなったので膝が痛くなる。(膝にはスリッパをあてて、引きずるように歩けば痛くないことを発見)低い机等を支えにしないと立ち上がることが無理な状態にまでなってきた。低いソファーまで這って行き、そこでソファーに這い上がる。そうまるで芋虫のように、ソファーの上で方向転換して立ち上がる。これなら立ち上がることはできる。
2020.10.6(火)
診察を受けたが特に進展もなく紹介状をもらって帰っただけである。
紹介状を大学病院に提出したら、すぐにでも診察をしてもらえるのかと思っていたが、12日に外来の予約となった。約1週間後であるが、日ごとに体が言うことを聞かなくなってきているので、こちらとしては1日でも早く見てほしいがそうもいかないのが現実であった。
トイレに行くのに一人で床から立ち上がることもできないし、トイレまで連れてもらって用を足している。玄関の階段も肩を組んで支えてもらわないと降りられなくなっている。杖だけでは無理になってきたのでネットで松葉杖を注文した。アルミ製が3,000円せずに購入でき、この安さには驚いた。
職場で松葉杖を使うのは抵抗があるので、トイレ等に席を立つときは気合をいれてふらつかないように気を付けて歩いた。意外と人のことは気にかけていないのか、気がついても知らないふりをしているのかはわからないが、職場で体調等について聞かれることはなかった。
執務室入口の扉はオートロックなので開けるときに変な力がかかると開かなくなってしまう。余分な力が入らないように“そっと”開けるのではあるが力が入らない分、変にシャクってしまいロックがかかり、何度もやり直すことが増えてきた。
トイレは小便も座ってすることにしていたが、ズボンのホック(ボタン)のかけ外しとズボン等の上げ下げも難しくなってきたので、仕事で穿けるスラックス風で、ウエストが緩めのゴムのズボンと大きめのパンツ(通常はMサイズなのをXLサイズ)も買いに行ってきた。トイレでズボン等を下すのが間に合わなくて、漏らしてしまったら大変なことになるのでこれは重要事項である。
2020.10.10~(土)
来週月曜は大学病院の待ちに待った診察予約日である。
シャワーを浴びて立ち上がることができない。トイレに連れていってもらっても、ズボンとパンツが下せなくなっている。おろしてもらって用を足し終わったら立ち上がらせてもらって、パンツとズボンを上げてもらう。
この一連の作業を頼むことが煩わしく思ったので尿瓶を用意してくれと話したら、却下された。何かの拍子でこぼすのが嫌みたいであった。妻がいないときは19歳の娘、17歳の息子がトイレに連れて行って世話をしてくれた。
洋式トイレから立ち上がることができなくなったときに、反動をつけて立ち上がろうとしたことがあったのだが、上方向に上がることができず、そのまま前につんのめってしまったことがあったので、余計な手間をかけないためにも終わったら素直に呼ぶことにした。
大便をしたときお尻をふくことができないので(手が後ろ方向に回すことが難しい。回っても力が入らない状態)ウォシュレットで念入りに洗ってから、前側からペーパーで押さえて水分を取る方法で何とか対応することにした。
人にお尻をふいてもらうのは少しためらいがある。ウォシュレットがあってよかったとつくづく思う。お相撲さんは付き人にふいてもらうと誰かが言っていたのを思い出したが本当なのかな?
この頃にはごはんも箸では食べられなく、スプーンで食べていた。スプーンの持ち方は握り箸のように握りスプーンになっていた。行儀が良いとか悪いとかの問題ではなくなってきていた。茶碗も持つことができないので膝を立ててその上に茶碗を置いて食べていたがそれも厳しくなってきたので、結局食べさせてもらうことになった。歯磨きは歯ブラシを持つことができても磨くことはできない。電動歯ブラシの電源を入れることができない。両手で電動歯ブラシを支えるしかできない。うがいも顔を洗うこともできない。手で水をためて顔までもっていくことができない。これでは赤ちゃんと変わりないなと思える。この状態が良くなることはあるのだろうかと不安になってしまう。
この時、病気を苦に自ら命を絶つ人の気持ちが少しはわかった気がした。
もしこんな状態が何年も続いてしまったら、自分がいることで妻や子供の将来を拘束してしまうことになると思うとやるせない気持ちになるだろうなと思った。特に子供には自分のやりたいことをやってほしいと親なら願うであろう。誰かのために自らの命を絶つことができる人は、本当は強い人なのかもしれないと思った。
ちなみに私はそんなことはできないであろう。もう少し我慢すればよくなるのではないかと思ってしまうタイプだ。
小さいときから、死んだらどうなってしまうのだろうと考えると怖くなって、泣きそうになったことが何度もあったぐらいだ。
ただ今の状況で、世話をしてくれている家族には感謝しかない。自分が高校生の頃父親がこんな状態になっていたとしても、トイレの世話はしていなかったであろうと想像は付く。
自分の子供は何もできない(勉強・運動・家の手伝い)と思っていたが、同年代の時の自分と比べたら、思いやりのある優しい子に育ったのかなと思えてきた。他のことは本当に何もできないゲーム依存症の本当に腹の立つクソガキなんですけどね!
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