2020.10.12 やっとここまで来ることができた(難病発覚前)

プロローグ

2020.10.12(月)

今日は大学病院での初めての診察である。今日はおかんの仕事が休みなので、一緒に行くことになっていた。病院の駐車場では、車椅子が必要な人は1階に優先的に駐車場することができ、車いすを利用する人のために近くに車いすも用意されているのをみて、田舎の市民病院とは対応が違うな!と感心するとともに、先生等の対応にも期待をしてしまう。

この時の体調が一番ひどい状態であった。一人で立ち上がることも、歩くこともできなくなっていた。立たせてもらってから、背中側から肩越しに首にしがみつき玄関の階段を下りるのだが、二人で階段から落ちそうになる。ごはんも一人で食べられない。茶碗もスプーンも持つことができないので、食べさせてもらうことになるのだが、食べるスピードは普段と変わらないので、アッという間に終わってしまう。
家にいてもすることがない。ソファに座ってテレビを見ているしかない。ずっと座っていると体が動かないことを忘れてしまい、普通に立てる気がするので動いてみるとやっぱり動かない。こんなことの繰り返しで、気分も凹んでくる。

診察が始まって、現在の症状などを説明した。よく考えたら紹介状と検査結果も一緒に渡してあるから状況は分かっていたのだなと納得。
検査入院をすることになったが、ベッドの空き状況等を確認(調整)した結果を電話で報告します。とのことであった。紹介状等を渡したときには入院が必要なのはわかっていると思うのに、今から調整するのかよ!と少しイラついたが仕方ないことだと思うことにした。

翌日に電話連絡があり、10月15日(木)から検査入院となりますので10:00までに入院受付を済ませてくださいとのこと。やっと進展があったと“ほっ”とした。
“ほっ”としたおかげかどうかは分からないけど、昨日より体調がよくなってきている。
昨日は一人でトイレに行くこともできなかったが、今日は何とか歩いていけたし、様式トイレから立ち上がることもできた。食事、シャワー、洗顔は相変わらず一人ではできないままではあるが。
一人でトイレに行けるのは、ずいぶん気が楽になった。
パンツとズボンのゴムはゆるゆるじゃないと上げ下げはできないけど!

大学病院に行くのに移動手段は何にしようかと考えていた。木曜当日妻は仕事があるので送ってもらことは無理である。当然今の状態では自分で運転はできないし、家からタクシーを利用するのは高くつくので車椅子にのって公共交通機関で行くしかないかな?となった。
(この時どんな病気かもわからないし、今後経済的にも苦しくなるのではないかと不安があるのでできるだけ倹約することにした。)

大学病院に車いすの貸し出しはあるかと問い合わせたら、市の総合福祉センターで相談してみてくださいとのことでしたので、さっそく問い合わせてみたら無償で貸してくれるとの回答があり、借りに行くことにした。話を聞くと結構長い間借りることができるらしい。ありがたいことと感謝するしかなかった。

2020.10.15.(木)

今日から入院。
娘に車椅子をおしてもらって、電車で病院まで行くことになるが“はじめてのお使い”みたいでドキドキする。
最寄りの私鉄の駅までは妻に車で送ってもらいそこからがスタートになる。
あらかじめ駅に電話をしておいて、改札で改めてお願いするのだが、スロープ台をもって駅員さんが一人ついてきてくれる。最後尾の車両に乗せてもらうのだが、親切に対応してくれるので非常に申し訳なく感じる。
乗り換えの駅には駅員さんが待っていてくれて対応してくれる。

ここからはJRに乗り換えだ。JRも私鉄と同様親切な対応をしてくれた。初めての体験であったが、本当に感謝しかない。自分が健康な時には車椅子の人がいてもさほど気に留めることなく、生活していたことが今思うと恥ずかしくも思えてくる。

駅を出て病院に向かう途中の信号を渡っているとき、歩道に乗る際に車いすの前輪が引っ掛かり前方にとびだしてしまった。娘はあわててしまっていたが、膝の上に着替え等の入院用カバンを持っていたので、カバンの上に落ちたのでけがもなく済んだ。ただ車るとき、歩道に乗る際に車いすの前輪が引っ掛かり前方にとびだしてしまった。娘はあわててしまっていたが、膝の上に着替え等の入院用カバンを持っていたので、カバンの上に落ちたのでけがもなく済んだ。娘が焦っているので早く車いすに戻ろうとするが体が動かない。
意外と道を歩いている人は手伝ってくれないもんだなと思いながらも、何とか座りなおして再出発。

入院手続きと検査(血液検査、胸部レントゲン、心電図、筋電図)がすむまで娘が付き添いをしてくれたが、今日はここまでで帰ってもらうことにした。

2日前とは違い少しは体が動けるようになったので何とか食事も一人でできた。
ごはんのどんぶりの中におかずをいれて、後はスプーンを握って口に入れ込むだけのとても食事とは言えない”ただの作業”である。
車椅子でトイレに行ってみたが、立ったり座ったりが面倒(うまくできない)なので、歩行器を用意してもらった。
ただトイレでパジャマのゴムがきついのでなかなか下せない。焦って汗がにじんできたが、なんとか漏らす前にすることができて間にあった。
その後はトイレに行く前にベッドの上でパンツは膝上までずらし、パジャマは腰下までずらしてから、焦らなくていいように少し早めに行くことにした。これだけずらしてあったら、割と楽に下すことができた。

2020.10.16.(金)

今日は造影剤入りのMRIの予定だが検査予定がいっぱいなので、キャンセル待ちで待機。

病気について説明をするのでご家族の方を呼んでください。と担当の先生にいわれた。
家族を呼ばないといけないような病気なのか?とちょっとビビッてしまった。ちょっとじゃなかったかも!テレビドラマの主人公にでもなった気がした。とりあえず13:00に来てもらうよう妻には連絡をとった。

キャンセル待ちのMRIが12:00からになった。
造影剤を骨髄に入れるので痛くても動かないで下さいといわれ、痛いのは嫌だとまた少しビビッてしまったが、思ったほど痛くなく“大丈夫ですか?痛くないですか?”と言われたときに大きくうなずいたら、先生に“動かないで!”と怒られてしまった。あとで調べたら、骨髄に針を刺すのは結構危険な行為らしい。検査も終わって病状の説明までに食事をして待つことに。

13:00になり先生からの説明

妻と娘が病院には来ていた。まずは病名が確定したことが告げられた。
病名:慢性炎症性脱髄性多発神経炎(CIDP)であり、指定難病の一種であるとのこと。
あとで調べたのだが、難病と言われるものはなかなか病名がつかないらしくこんなに早く付くことはないらしい。私の場合4年前の狭窄症と思っていたのもこの病気だったらしく、そのことも踏まえて早めに病名が確定したみたいだ。

治療法としてはまず、免疫グロブリン療法(血液製剤)を実施する。これは5日間免疫グロブリンを点滴で投与するらしい。”ただこの治療は高額で100万円を超える治療になります。”
びっくりして“100万円!”と聞きかえしてしまった。
難病の場合助成金が出るので早めの手続きをしたほうが良いとのアドバイスをしてもらう。ただ認定されるまで時間がかかるので、社会保険の高額医療の申請も併せてすることを勧められた。

免疫グロブリンでどこまでよくなるかわからないが、効きがよくないようであればステロイドも併用することになるかもしれないとのことであった。
このまま、動けなくなるのではないかと不安ではあったが、治る可能性もあることがわかり少し“ほっ”とした。
妻に、帰りに保健所によって難病の助成金について相談にいってもらったが、臨床個人調査票をそえて申請後に助成金の対象となるので、今回の入院については難病の助成金は対象にならいと言われた。
とりあえず健康保険の高額療養費の申し込みを急ぐことにした。

結局お金がいくらいるのか心配になったので、調べてみたら健康保険の高額療養費の負担は20万円ぐらいで済みそうだ。
難病の助成金は所得により変わるらしいが、月額の負担額が2万円ぐらいなので少し安心した。

再登場!!

明日から治療が始まるので部屋で休んでいたら、女医さんらしき人が入ってきた。
”リハビリテーション科の〇〇ですが、私のことわかりますか?”といきなり言われたので
“どきっ”として黙ってしまった。どこかで会ったことがあるのか?と考えていると
“市民病院の整形外科で診察した〇〇です。”
”あーー!! 髪型が変わっていたので、全然気が付かなかったです。”
あの時はぼさぼさのイメージだったが、今日見た感じは小綺麗な女医さんといった感じがした。
当然これは口には出さなかったですが・・・! ここで市民病院の女医さんの登場でした。
片田舎の市民病院と都心の大学病院では、気合の入り方が違うのか?小綺麗にしていないと今後の出世にもかかわってくるのかもな?
でも“私のことわかります?”には本当にびっくりした。こんなところで会うとは思ってもいなっかったです。

ひととおり説明を聞いてからリハビリ計画書に署名をするのだが、片手ではペンもきちんと持てない。両手の指でペンをささえて、腕全体を動かさないと書くことができない。
いつもは誰かに書いてもらっていたから気にならなかったが、こんな当たり前のことができなくなっていたのは少しショックだった。

明日から治療が始まるのでよくなることを願って寝ることにする。

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